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実は頴娃町には真田幸村の墓といわれる場所があります。雪丸地区には、大坂夏の陣から豊臣秀頼を守って鹿児島に落ち延び、その後、雪丸地区に移ったという伝説があります。
一般的には大坂夏の陣の際、3度目の徳川家康本陣突撃後、体を休めているところを打ち取られたといわれていますが、大阪城落城後、京童たちが歌った「花の様(やう)なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退(の)きものいたよ加護島(かごしま)へ」との歌で幸村生存説は噂として流れていました。
そして、南九州市の「雪丸地区」には、そんな幸村が、鹿児島に来たのちに移り住み、生涯を終えたという伝説とともに「幸村のお墓」があります。
墓には丸い小石がたくさん供えられています。これは幸村の子を身ごもった女性を徳川の追っ手から守るため同町の大川地区に嫁がせ、その子孫が墓参りの際に小石をさい銭代わりに置いたとされています。その女性が産んだ男の子は、真田の2文字の間に江という字を挟んだ「真江田(まえだ)」の姓を名乗り、真江田家の墓には真田の家紋「六文銭」が刻まれています。
歴史ロマンあふれるこの地を、ぜひ、訪れてみてください。
当館から車で約14分。
入り江の岩礁に突き出た場所に鎮座し、有名スポーツ選手も多く参拝する神社が「射楯兵主神社(釜蓋神社)」です。
御祭神はスサノオノミコトで武の神様で厄除け、開運にもご利益があり、芸能人やスポーツ選手も訪れる話題のパワースポットです。
釜の蓋を頭に載せて祈願するユニークな「釜蓋願掛け」や素焼きの釜蓋を投げる「釜蓋投げ」は勝負事や開運・開拓・厄除け・武運長久にご利益があるとされています。
また、岩礁と海に囲まれた神社裏の「希望の岬」からは、薩摩富士こと開聞岳と夕陽を望むことができるビュースポットにもなっています。